げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

私のちょっと恥ずかしい座右の銘

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誰もが何かしらの「座右の銘」を持っている(と思う)。

「座右の銘」とは言わないまでも人生の指針、もしくは支えとなっている言葉。

心に印象深く刻まれた言葉。

そんな言葉の一つや二つ、心に抱いているのではないだろうか?

あなたの座右の銘はなんですか?と尋ねられたら、私の場合は聖書の一節をそらんじることが多い。

一応、クリスチャンなもので。

たとえば旧約聖書の伝道者の書のことば。

神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)

これは私の座右の銘であり、人生の大事な指針の一つであることは確かだが、やや格好つけている感は否めない。

実はちょっぴり恥ずかしくて他人には言えない、けど、言いたい。

そんな「(隠れ)座右の銘」がある。

今回はそんな私のちょっと恥ずかしい「座右の銘」を紹介したい。

それが次の言葉である。

快食快便、命の源。

 

考え過ぎは短命の元。

 この言葉に出会ったのはまだ私が小学生の3~4年生ぐらいの頃だったが、小学生ながらに衝撃(笑撃?)を受けた。

中年になった今もたびたびこの言葉を想起するぐらいの衝撃である。

同年代の親爺たちの中には、そのフレーズは覚えていて、出典は何だったかな~、と悶々としている人もいるようだ。

それをネット情報で知り、この言葉を印象深く覚えているのは私だけではなかったのだとひとりニンマリとした。

ちなみに、これに続く言葉は以下のとおり。

今日も元気な牛の乳。

 

マイペースでヒックラホックラ。

ここまで来ると、絶対に自分の座右の銘としては死んでも他人に紹介できない。

実はこれ、子供の頃に読んでいたある漫画の主人公が発した言葉なのだ。

出典は「らんぽう」というギャグ漫画である。

この本当におバカなギャグ漫画の主人公が発した言葉が、私の人生の中で最もしばしば想起される言葉になるとは・・・

そして、この言葉に助けられるとは・・・

というのも、私はついつい物事を考えすぎるたち。

それがポジティブな方向に向かえばいいが、多くの場合はネガティブな方向に向かってしまう。

いつの間にか鬱々となっていることも少なくない。

そんな時「考えすぎは短命のもと!」という「らんぽう」の言葉が脳裏をよぎるのだ。

考えても、考えても、分からないこと。

悩んでも、悩んでも、どうにもならないこと。

世の中はそんなことでいっぱいである。

そんなことに思いを向けて無駄な時間を費やしている暇があれば、もっと建設的なこと生産的なことに時間を費やしたいものである。

人生も折り返し地点を過ぎた身としては、なおのことその思いを強くする。

もちろん、だからと言って、あせりはしない。

あせっても空回りするばかり。

これまでの人生で痛感している。

マイペースにヒックラホックラ生きていこう。