げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

安楽死は是か非か。自分なりに、クリスチャンになりに考えてみた

f:id:tkoki777:20190909234216p:plain

先日、NHKのテレビ番組で「安楽死」について取り扱われていたのを見た。

今までもそのテーマについてはイロイロと考えては来た。

しかし、この機会に改めて考えてみることにした。

2種類の安楽死

安楽死には「消極的安楽死」と「積極的安楽死」がある。

「消極的安楽死」は日本では「尊厳死」と呼ばれ法的に認められている。

これ以上手の施しようのない病状になった時、本人の意志があれば、延命措置をすることなく死ぬままに任せる。

私の理解ではそれが尊厳死である。

積極的安楽死は、安楽死を幇助してくれる人から渡される薬剤を飲んだり、点滴することよって死んでいくもの。

眠るようにして死ぬので「安楽死」と言えば、こちらをイメージする人のほうが多いかと思う。

ただ、この積極的安楽死は今現在、日本では法的に認められていない。

だから、日本人で安楽死をしたいと願うならば、国外の人でも安楽死を受けることができるスイスにまで行かなければならない。

また、その遺体を日本に持ち帰ることは出来ない。

安楽死のほうが合理的?

この安楽死に関して、なんのしがらみもなく個人的な意見を言えば、私は肯定的である。

私も死ぬ時は安楽死が良い。

死ぬこと自体は恐くない。

恐いのは死に至るまでの「苦しみ

自分の肉体的、精神的苦しみだけでなく、それを見守る家族の苦しみも含めての「苦しみ」である。

病気で死ぬにしろ、寿命で死ぬにしろ、安楽死で死ぬにしろ、死別は思う以上に辛い。

それならば、死に至るまでの「苦しみ」を省略して、本人や家族の負担を軽減したほうがいいのでは?安楽死のほうが合理的では?と思うのだ。

キリスト教信仰と安楽死

私が「死」に対してそれほど恐れを感じないのはキリスト教の信仰持っているからである。

イエスの十字架の死は私の罪ため。

そのことを信じ、イエスを「救い主(キリスト)」と信じる者は天国。

そのような希望があればこそ、死後への希望を持つことができる。

しかし、このキリスト教信仰。

安楽死とは相性が良くない。

「積極的安楽死」は最終的には自らの手で薬を飲んだり、点滴の栓を開けて死に至るので、それは「自死」である。

キリスト教では基本的に「自死」は認められない。

ということは、クリスチャンは安楽死を選ぶことが出来ない。

しかし、最近の米国の調査では同国に在住するクリスチャンの60%が安楽死に肯定的とのこと。

考えてみれば、安楽死を法的に認めるスイスも人口の約7割はクリスチャン。

他に安楽死を認めている国々もほとんどがキリスト教国だ。

それが良いことなのか、悪いことなのかの判断はつきかねるが、キリスト教界全体の流れとしてはそのような方向に向かっているのかもしれない。

クリスチャンとして安楽死とどう向き合うべきか

けれども、多くのクリスチャンが安楽死に肯定的な意見を持っていることと、それが聖書の教えにかなっているかどうかは別問題。

彼らは聖書の教えと安楽死を肯定することとに、どのようにして兼ね合いをつけているのだろう?

少なくとも、私の中ではキリスト教と安楽死には未だ相反するものを感じる。

何よりも、積極的安楽死を選択して、神の前に立った時に、う~ん、安楽死はまずかったね~、と言われたら、それこそ永遠に後悔することになるだろうし。

そんなことを考えると積極的安楽死は選択しないほうが無難なのだろう。

ただ、私の個人的な願いは苦しむことなく死ぬこと。

なので、そのことに関してはこれからも祈り続けようと思っている。

それが神のみこころならば、神はその願いをかなえてくださることだろう。