げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

長寿は果たしてめでたいことなのか?

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配達先に今年で97歳になられるおばあちゃんがいる。

品の良いおばあちゃんで、広いお屋敷に一人で住んでおられる。

週に何度か家政婦さんに来てもらって、買物だの掃除だのはしてもらってるが、日常のことはほとんど自分で出来る。

週に2度はバスに乗って外出もされる。

小柄で、華奢で、その足取りは心細く、風が吹けば飛ばされそうで、実際、吹き飛ばされたこともあるそうだが、年齢のことを考えるとまだまだ元気だ。

百歳までは余裕で生きられるのじゃなかろうかと勝手に思ってる。

長寿は幸せか?

しかし、長寿だからといって、それが幸せか?というとそうでもないよう。

ご兄弟はすでに他界。

娘さんにも先立たれ、息子さんは認知症に…

ご自身、今は元気だが、90歳を過ぎてから大病を患われ、大きな手術を受けられたらしい。

年寄りの一人暮らしであることに付け込まれて、多額のお金を騙し取られたりしたことも。

親族との関係もよろしくないようで、たまにではあるが、愚痴られることもある。

「長寿」であることが、なんとなく、めでたいことであるかのように思ってしまうが、実際はそんなにめでたいことではないようだ。

この世に生を受けたことは幸せか?

そもそも、私たちがこの世界に生まれたこと自体、そんなにめでたいことではないのかもしれない。

近しい人に赤ちゃんが生まれたとの報告を受けたら、私も礼儀として「おめでとうごさいます」とは言う。

しかし、心の中では本当にめでたいことなのかな?という思いもよぎる。

生まれて来ても、死ぬだけなのに…

正直、クリスチャンでありながら、そんな虚無的思考に陥ってしまうことも(双極性障害の「うつ」の症状かもしれないが)。

結婚の報告を受けても、それは本当にめでたいことなのか?と思う。

新年の挨拶の時もそうだ。

年が明けたことの何がめでたいのか?と思いつつ、微笑をたたえながら「明けまして、おめでとうございます」と挨拶を交わす。

なかなかのストレスである。

本当にめでたいこと

私にとって、心から「めでたい」と言えるのは、たぶん、死んで天国に入れた時であろう。

天国に入って、神様や先に天国に入った人々から、おめでとう!と言われた時に初めて、その言葉を素直に受け入れることが出来るだろう。

だから、その日に備えて「今日」という日を「今」という時を生きる。

それが、私の根底にある人生観。

今世にはあまり期待していない。

キリスト教は輪廻転生の思想ではないので、いわゆる来世はない。

しかし、聖書の教える「来るべき世界」には大いに期待している。

そんな人生観が、双極性障害になってからの「人生オワタ」ショックを緩和してくれてるところも大いにある。

ということで、神様、よろしくお願いします。

善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。(テモテへの手紙 第一 6章18~19節)