げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

誰と一緒にいる時の自分(分人)が好きなのか?

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「塩狩峠」を再読している。

「塩狩峠」は三浦綾子さんの代表的作品。

あるクリスチャン青年が暴走する汽車を止めるために、自ら線路に飛び込み、まさに身を挺して乗客を救ったという実話を元にした小説である。

前に読んだのは20年以上前になるだろうか。

前記のこと以外、その内容を見事に忘れていたので、新鮮な気持ちで読むことが出来た。

これは忘れっぽいことのメリットかもしれない。笑

誰といる時の自分が好き?

再読してみて、イロイロと教えられ、また考えされられたが、そんな中で、普段だったらそれほど引っかからないであろうフレーズが引っかかった。

どこにいる時よりも、ふじ子の前にいる時の自分が、信夫は好きだった。

これは会社の上司に縁談を持ちかけられた主人公、永野信夫が「結婚」について思いを巡らしてる時に、はたとこれまでは結婚なんて考えていなかった親友の妹ふじ子との関係に思い当たる場面である。

あれ?このフレーズどこかで…

と思ったら、山里亮太さんと蒼井優さんの結婚に著名人の様々なコメントが寄せられる中、ヒャダイン氏が蒼井優さんがかつてこんなことを言ってたと紹介したフレーズに似てるのだ。

「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」と友達(蒼井優)が教えてくれて、その通りだなあと思ったので書いておきます。

もしかして、蒼井優さんは「塩狩峠」の先のフレーズを知ってて、そんなことを言ったのだろうか?と思ってみたりして。

個人ではなく分人

芥川賞作家、平野啓一郎氏の著書「私とは何か「個人」から「分人」へ 」では自分は一つではなく複数であると説かれている。

個人ではなく分人(ぶんじん)。

では、複数の自分(分人)はどのようにして現れるかというと、様々な対人関係の中においてだ。

言われてみれば、伴侶と一緒にいる時の自分、親と対面する時の自分、同窓生と一緒の時の自分、ひとりでいる時の自分では、心持ちも振る舞いも違って来る。

平野啓一郎氏によると、親しい人を失う悲しみの中には、その人の関係の中で表出される「自分(分人)」を失うことの悲しみも含まれているとのこと。

結局、自分とは「分人」の集合体。

好きな「分人」が多ければ多いほど自分に肯定的になれる。

しかし、嫌いな「分人」が多くなれば自分に否定的になってしまう。

なので「分人」を意識して関係を構築することは、豊かな人生を送る上で大切なことになるだろう。

結婚と分人

そう言った意味で、蒼井優さんの結婚相手の選択方法は賢明だったと思う。

もちろん、それでも、幸せな結婚生活を続けることはそう簡単なことではない。

頑張らないで、頑張って欲しい。

私は「分人」を意識して伴侶を選んだわけではないし、妻と一緒にいる時の自分が好きか嫌いかなんて考えたことはないが、伴侶に先立たれたら、後追いをするかもしれないぐらいの感情はある。

私もクリスチャンのはしくれなので、たぶん、そんなことはしないと思うが、正直、自信はない。

なので、妻には私より長生きして欲しい。

もちろん、元気に長生きである。

ただ、妻はあまり自分の健康には注意を払わない人なので、今からとても心配している。

こればかりは、神様、その点、どうぞよろしくお願いしますと祈るしかない。

愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。(聖書 ヨハネの手紙 第三 1章2節)