げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

人は幼いときから悪

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聖書通読箇所

創世記7~8

40日40夜の大雨によって地上は大洪水になり地上のすべての生物が死に絶える。その後、神はノアに再び大洪水によって地を滅ぼすことはしないと誓われた。

 

注目聖句

わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。(創世記8章21節)

所感・考察

神が地上を大洪水で滅ぼされたのは

「地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。」(創世記6章5節)

からである。

しかし、大洪水後、神は「人の心が思い図ることは、幼いころから悪である」ことを仕方がないこととし、再び大洪水によって地を滅ぼすことはしないと言われた。

こころへん、心情としては少し腑に落ちない部分ではある。

まあ、この点については、別の機会に考えるとしよう。

神は「水」によって滅ぼされることは二度としないと誓われたが、次は「火」によって滅ぼされる予定だし。

今回は人間にある「罪の性質」について考えたい。

パウロは次のように吐露している

私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。(ローマ人への手紙 7章19~20節)

誰もが彼のような思いになることがあるのではないだろうか。

神は人間を「幼いころから悪」と言われた。

子どもでも、教えられるわけでもなく、悪いことをしてしまう。

子どもは決して「純真無垢」ではない。

その事実は「罪の性質」が宿っているという聖書の教えに合致する。

そもそも神が人間を悪いことが出来ないように造れば良かったのでは?

それを「人間は悪いことをする」と滅ぼすなんて理不尽じゃない?

と、思わなくもない。

しかし、それは人間が神から離れてしまった結果であって、神の責任ではないというのが聖書の見解である。

神は人間をご自身に似た存在として造られた。

神は人間にだけに「自由意志」を与えられた。

「善悪の知識の木」をエデンの園の中央に置かることはそのことを明示していた。

神に逆らうことのできる選択肢が与えられていなければ「自由意志」が与えられているかは分からない。

残念なことに人間はその自由意志を持って神に逆らう決断をした。

聖書においては神から離れている状態も「罪」である。

それが性質としての「罪」につながり、具体的な行為としての「罪」に発展する。

だからこそ、私たちは何よりも創造主なる神との関係を回復する必要がある。

そのための唯一の道がキリストであると使徒たちは伝えた。

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。(使徒の働き 4章12節)