げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

神の何を信じるのか?

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聖書通読箇所

創世記15-16

注目聖句

これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」(創世記 15章1節)

考察

この時、神の召命のことばから十年以上は経っていたと思われる。

神はその間に幾たびかアブラハムに現れて「祝福」のことばを述べられるが、アブラハムには腑に落ちないところがあった。

確かに経済的には豊かになっていたが、肝心の子孫が未だに与えられないのだ。

神は私に子孫を与え、大いにいや増すのではなかったのか?

アブラハムは神に少しばかり文句を言った。

あなたが子どもを与えてくださらないので、後継がいない。

だから、私は今まで築き上げて来た全財産をしもべに渡さないといけない。

神は彼に夜空を見上げさせた。

無数の天の星が広がっている。

神は言われた。

あなたの子孫はこのようになる。

それに対するアブラハムの応答はキリスト者にとって大きな意味を持つものとなる。

アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。(創世記 15章6節)

アブラハムは神の何を信じたのか。

それは神の真実なることと、神の全能なることではないだろうか?

その時すでにアブラハムも妻サラも高齢で子どもが出来るのは難しい年代になっていた。

それに神もただ言うだけで、何もなされない。

神は偽りを言ってるのでは?そもそも神は全能ではないのか?

そんな疑いを抱いてもおかしくない。

それでもなお、アブラハムは神の真実なることと全能なることを信じた。

人間的に考えるならば愚かにさえ思える。

しかし、その愚かしいまでに神を信じる姿勢を神は喜ばれ、神とアブラハムの関係はますます強固なものとなったのであろう。

アブラハムは上記の出来事から、実際に約束の子イサクが与えられるまで、さらに十数年待たされることになる。

神も酷なことをなさる思うが、それはアブラハムが神の人類救済計画の中で重要な位置を占めていたからかもしれない。

所感

神は私たちに、それでもわたしを信じるのか?と問われることがある。

私自身、本当に神は私を愛されているのか?本当にその全能の御手で私を救ってくださるのか?と疑念を抱くこともしばしばだ。

しかし、私にはあなた(創造主)しかいないと、その裾になんとかすがりついているような状況である。

神の約束が実現するまで、振り落とされないようにしたいと願うばかり。

死に至るその日まで、神の無限の愛と、無限の力を信じ続けていきたい。