げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

神の祝福を切望する

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聖書購読箇所

創世記27章

イサク、長男である兄エサウに一子相伝の祝福を与えようとするも、弟ヤコブが母リベカと共謀して、その祝福を横取りする。

注目箇所

エサウは父に言った。「お父さん、祝福は一つしかないのですか。お父さん、私を祝福してください。私も。」エサウは声をあげて泣いた。(創世記27章38節)

考察

父イサクの目が不自由であることをいいことに、母リベカと共謀し、兄エサウが受けようとしていた祝福を奪い取ったヤコブ。

祝福を奪われたことを知ったエサウは、父イサクに私のためにも祝福を祈ってくれとせがむもそれはできないと拒まれる。

正直なところ、単に祝福を祈るだけなんだから、エサウのためにも祈ってあげても別にいいんじゃない?イサクってケチだな・・・と思わなくもない。

しかし、イサクがそれを拒んだ事実からも、このところで記されている「祝福」が一般的な祝福ではなかったことが推測できる。

それは神がアブラハムに与えた「あなたの子孫にカナンの地を与える」との約束を受け継ぐための祝福であったのだろう。

おそらくヤコブは以前にエサウから「長子としての権利」を譲りうけていたので、イサクから「約束の祝福」を受け継ぐべきは自分であるべきだと思ったのかもしれない(創世記25:33)。

だからこそ、母リベカの誘いにのって共謀して父イサクを騙すことを承知したのだろうと思われる。

前回の記事にも書いたように、策略を巡らして祝福を奪い取ったことは褒められたことではない。

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ヤコブはそのせいでエサウの恨みを買い、殺されそうになったので逃亡しなければならなくなった。

しかし、それほどまでにして祝福を欲しいと願ったヤコブが、神の約束に大きな価値を見出していたことは分かる。

私たちは霊的イスラエルとして、アブラハムに与えられた祝福を受け継いだものと考えることができる。

新約の光に照らすと、約束の地を受け継ぐとは、新しい天と新しい地を受け継ぐことである。

私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいる(ペテロの手紙第二3章13節)

私たちは果たして、その約束の素晴らしさを理解しているだろうか?

あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか・・・を、知ることができますように(エペソ人への手紙1章18~19節)

所感

私は神の約束のことばをしっかりと握りしめているだろうか?正義の支配する新しい天と地を心から待ち望んでいるだろうか?そこに至るためならば、どんなことでもするという気持ちを抱いているだろうか?