げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

神がともにおられる

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聖書通読箇所

創世記28章

ヤコブ、ベエル・シェバから旅立ち、母リベカの兄ラバンの在住するパダン・アラムへと向かう。途中、夢の中に神が現れアブラハム契約を更新される。ヤコブは神が夢に現れたその場所をベテルと名付ける。

創世記29章

ヤコブ、伯父ラバンのところに無事到着。ラバンの娘レアとラケルを妻として娶る。

注目箇所

まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった(創世記28:16)

考察

兄エサウから長子の権利と祝福を奪い取ったヤコブ。

彼はエサウの恨みを買いその命を狙われることになる。

母リベカはヤコブの命を守ろうと、嫁取りを口実に、ヤコブを自分の兄ラバンのところへ行かせる。

旅立つ際のヤコブの心境はいかばかりであったか。

彼は長子の権利を奪って、兄よりも2倍の相続財産を得る権利を得たはずであった。

しかし、今は兄に命を狙われ、着の身着のまま、ひとり出ていかなくてはならなくなった。

おそらく、彼は自分のしたことを後悔していたであろうし、深い孤独を覚え、またこれからどうなるのだろう?といった不安にかられていたことであろう。

そういった中、神は彼の夢の中に現れ、彼を祝福すると約束される

見よ。わたしはあなたとともにいる。あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしはあなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(創世記28:15)

ヤコブは自分はすべてを失ってしまった、と思っていた。

しかし、神は彼とともにおられた。

そのことを知ってヤコブは大いに励まされたことだろう。

私たちにとっての祝福は「神がともにおられる」という事実に基づくものである。

いくら人の目に祝福されているように見えても、それがなければ虚しい。

だからこそ、モーセは次のように言っている。

もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。(出エジプト記33章15節)

私たちは神の神殿であると聖書は教える。

神殿とは神の臨在されるところである。臨在される神に向かって礼拝が捧げられる場所である。

神の臨在しない人間(神殿)、臨在していても礼拝の生活がなおざりにされている人間(神殿)はその本来の役割を果たしていない。そのような人生の中で私たちは真の満足を得ることはできない。

所感

もっともっと神の霊に満たされることを求めて行かなければならない。もっともっと神を礼拝することを求めて行かなければならない。そのような思いを新たにさせられた。