げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

神は目を留めておられる

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聖書通読箇所

創世記30章

1~24)ヤコブの妻はレアとラケルの姉妹だった。ラケルが不妊であったことに端を発して、彼女らはどちらがより多くの子どもをヤコブに与えるかを争うようになる。そのために、それぞれ、自分のしもべとして仕える女性ジルパとビルハをヤコブに妻として与える。

25~43)伯父ラバンは長年群れを世話をしてきた報酬として望む物を与えるとヤコブに言った。ヤコブは群れのまだら模様の羊や山羊を報酬として下さいと申し出る。伯父ラバンはその願いを聞くとみせかけ、まだら模様の羊や山羊を自分の群から取り分けて、ヤコブの目に入らないところで息子たちに世話をさせた。しかし、それ以後、ヤコブが世話をする群からはまだら模様の羊や山羊がどんどん生まれようになった。

注目箇所

彼女は身ごもって男の子を産み、「神は私の汚名を取り去ってくださった」と言った。(創世記30:23)

考察

ヤコブの妻はレアとラケルの姉妹であった。しかし、妹ラケルにはなかなか子どもが出来ず、次々と子を産む姉に嫉妬。

それで彼女は自分のしもべとして仕える女性をヤコブに与え、彼女をして自分の子どもを得ようしたりもする。

そんな中、ついにラケルにも子どもが与えられるのであるが、その時、彼女は「神は私の汚名を取り去ってくださった」と言った。

日本においても昔は子どもを宿すことの出来ない女性には風当たりが強かった。ヤコブの時代においてはなおいっそうだったと思われる。子どもを産めないということは、神の呪いを受けている、とみなされるような風潮もあった。

現代でもそのような風潮の強い国、地域はあり、最近、インドで70歳の女性が体外受精で出産をしたケースも、そのような事情があってのことだった。

www.afpbb.com

現代日本においても、不妊の女性に何か引け目を感じさせる風潮は完全に消え去ったわけではない。

旧約聖書では出産が神の祝福、不妊は神の呪い、というように描かれているので、それに躓くクリスチャンの女性もいるかもしれない。

しかし、それはあくまでも象徴的な表現である。

たとえば、他にも旧約聖書では「多くの財産」が神の祝福の象徴とされるが、実際のところはお金持ちだからと言って、神に祝福されているかどうかは分からない。

他にもある場面でダビデが身体障害のことを「神に忌み嫌われる」という表現をしている箇所があるが、それもまた象徴的な表現であって、実際にそうであるわけではない。

それは聖書全体を見れば分かることである。

聖書は新しい部分でも今から2000年ほど前に記された書物である。古い部分であると3000年ほど前になるのかもしれない。

なので、現代社会においては誤解を受けるところも多々あることは考慮に入れる必要がある。

ラケルの懐妊の出来事において私たちが受け取るべき大切なメッセージは「神はラケルに心を留められた」(創世記30:22)という部分であろう。新改訳聖書3版では「神はラケルを覚えておられた」と訳されている。

ラケルからしたら、姉のレアばかりが神様から祝福されていて、自分は忘れられているというような心境だったろうと思う。しかし、実際はそうではなかったという事実。私たちはそこにこそ目を留めるべきである。

また、ラケルになかなか子どもが与えられなかったことが、その後、ヤコブ(イスラエル)の家族が危機的な状況から救うことにつながってくることも重要である。

所感

今、目の前にある現状で、一喜一憂しなようにしたい。神様は常に私たちのことを心に覚えておられる。もしかすると目の前の悲劇が後に神の計画がなる上で重要な意味を持つことになるかもしれない。そのことを信じつつ、日々感謝の生活を送ろう。