げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

決して諦めない格闘するような祈り

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聖書通読箇所

創世記32章

  • ヤコブが故郷に向かう途中、神の使いが現れた。ヤコブはその場所をマハナイムと名付ける。
  • ヤコブ、兄エサウとの再会に備え、先に贈り物を送る。
  • 兄エサウとの再会前夜、ヤコブはある男(神の使い?)と夜通し格闘する。そして、男からイスラエルとの名を受けた。ヤコブはその場所をペヌエルと呼ぶ。

創世記33章

  • ヤコブ、兄エサウとの涙の再会。
  • ヤコブ、カナンの町シェケムに隣接する土地を購入。そこに祭壇を築いて、その祭壇を?エル・エロへ・イスラエルと呼ぶ。

注目箇所

その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」

考察

兄エサウとの20年来の再会。弟ヤコブはまだ兄に恨まれているのではないだろうかと恐れていた。

兄と再会する前夜のこと。ヤコブはある男と取っ組み合いの格闘をする。格闘に至った理由、またヤコブがその相手に祝福を求めた理由は記されていない。

根負けした相手の男は、ヤコブにイスラエルという名を与え、祝福した後、ヤコブは「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」と言った。

伝統的に「ヤコブの格闘」の出来事はヤコブの「祈り」を象徴するものとして解釈される。ヤコブは神と格闘するような祈りを捧げ、神はその必死な祈りに応えて祝福を授けられた。

この祈りの姿勢は、イエス様の「不正な裁判官とやもめ」(ルカ18:1-8)の譬え話を思い起こさせる。

人でなしの裁判官のもとに、あるやもめが来て訴えるも、裁判官は全く聞き耳を持たなかった。しかし、そのやもめが朝に夕にひっきりなしに裁判官のところにやってきて、裁判をしてくれ、裁判をしてくれと頼みに来る。そのことで裁判官は精神的に参ってしまって、仕方がなく、裁判をしてやろうと決める。

人でなしの裁判官さえ、しつこく求めるならばその願いを聞いてやるんだから、天の父があなたの願いを聞いてくれないことがあろうか、とイエス様は諭された。

所感

ある牧師にある信徒がこう尋ねたそうだ。

「いつまで祈るべきですか?」

すると、その牧師は答えた。

「その祈りが聞かれるまで。」

最近の自らの祈りの生活を省みる時に必死さが失われていると感じる。

特に執り成しの祈りにおいて。

次の聖書のことばが心に迫る。

夜、見張りの始まりに、立って大声で叫べ。あなたの心を主の前に、水のように注ぎだせ。あなたの幼子たちのいのちのために。主に向かって両手を上げよ。彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。(哀歌2章19節)

イエス様は行く先々で「群衆を見て深くあわれまれた。」。

その理由は

彼らが羊飼いのいない羊のように、弱り果てて倒れていたからである(マタイ9章36節)

一見、楽しそうに生きている人たちでも、霊的な側面から見ると弱り果てて倒れてしまっている現状があることを知らなければならない。

私もイエス様と同じ視点で周りの人々を見、彼らのために心を注ぎだして祈るものとなりたい。

格闘するような祈り、決して諦めない祈りを捧げるべく主の御前に進み行こう。