げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

ヤコブを愛し、 エサウを憎む?

f:id:tkoki777:20190928080101p:plain

聖書通読箇所

創世記36章

  • エサウのその後とエサウの子孫について

注目箇所

エサウは、その妻たち、息子と娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れて別の地へ行った。(創世記36章1節)

考察

生まれる前から「兄が弟に仕える」(創世記25章23節)という運命が定められていた双子の兄弟エサウとヤコブ。

実際、兄エサウは弟ヤコブの策略によって長子の権利を奪われてしまう。

www.gentenkaiki.com

しかし、聖書を読んで行くと、父イサクの全財産を継承したのは結局エサウであったし、それ以後もエサウは経済的に祝福されていった様子が伺える。

「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ローマ9章13節)ともあるが、どうも、これは文字通りの意味ではないようだ。

このことを理解するために、ヤコブとエサウの父であるイサクと、その異母兄イシュマエルの関係についても考えてみよう。

「約束の子」としてアブラハム契約を継ぐべく選ばれていたのはイサクであったが、イシュマエルについても神は次のように言われている。

必ず私は彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は一二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする(創世記17章20節)

神はイサクを祝福されたが、イシュマエルをも祝福された。

エサウに関する神の「祝福の約束」は明記されていないが、少なくとも経済的な面においてはヤコブと同様、エサウも祝福されていたのは明白である。

では「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ」とはどういうことか。

それは、神のご計画の中で、アブラハム契約を継ぐのはヤコブでありエサウではない、ということの強い表現と考えることができる。

ヘブライ的表現では、しばしば、あえて極端な表現を使って真理を教える。

たとえば、イエス様は「姦淫」についてご自身の厳しい見解を述べられた際「右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい、右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい」(マタイ5:28~30)と言われた。

もし、その言葉も文字通りに受け取っていたならば、今私には、両目も両手もついていないことだろう。

だから、実際にそうしろ、ということではなくて、それぐらいの気持ちで「情欲」に警戒せよと言われていると解釈するのが自然であり健全な解釈だろう。

以上のことから、「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ」は、神がアブラハム契約をイスラエルをとおして必ず実現させることを強調する表現として捉えることができる。

所感

創造主なる神は旧約時代においても、新約時代においても、愛なる神である。

創造主なる神の「人類救済計画」が進められる中では人間の理解できないこともたくさん起こってくる。

時として、自分が神に忘れられているのでは?捨てられたのでは?と思うこともあるだろう。

しかし、神は誰一人として忘れてはおられない。

それぞれに相応しい祝福を与えようとしてくださっているお方である。

そのことを心から信じて、今日という日を、今という時を生きよう。