げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

人生における苦しみの目的

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聖書通読箇所

創世記39章

ヨセフ、エジプトの侍従長ポティファルに売り渡されるも、そこで主人の信任を得、全財産の管理を任されるようになる。

しかし、ある時、主人の妻に乱暴を働こうとしたとの濡れ衣を着せられ、投獄される。

けれども、そこで今度は監獄の長の信任を得、監獄の管理の全てを任されるようになった。

創世記40章

ある時、ファラオに仕える献酌官長と料理官長がファラオの怒りを買い投獄された。

そのふたりが同じ夜に何か意味のある夢をそれぞれに見る。ヨセフはその夢の意味を説明し、そのとおりに献酌官は元の地位に戻され、調理官は処刑される。ヨセフは献酌官に元の地位に戻ったら、ファラオに自分のことをとりなしてくれるよう願っていたが、献酌官はそのことをすっかり忘れてしまう。

注目箇所

しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。(創世記 39章21節)

考察

神は常にヨセフとともにおられ、彼を祝福された。それは誰が見ても明らかだった。にもかかわらず、気づけばヨセフは監獄の中。

監獄の長に気に入られて、そこの管理を任せられるようになってはいたとはいうものの、最悪な状況に変わりはなかった。

しかし、その最悪の状況の中、その後の人生を一変させる出会いがあったのだ。

ただ、その出会いが実際にヨセフの状況に具体的な影響を与えるのは、それからさらに2年後になるわけだが…

所感

主がともにおられるからといって苦しみに合わなくなるわけではない。

むしろ、それゆえに苦しみを経験させられることもある。

しかし

主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌 3章33節)

それは、あなたを苦しめ、あなたを試し、ついにはあなたを幸せにするため(申命記 8章16節)

そのことを忘れることなく、人生で味わう苦しみと向き合っていきたい。