げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

そのままの姿で用いられる神

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聖書通読箇所

創世記38章

ヤコブの第4子ユダと、息子の嫁だったタマルとの間にペレツとゼラフの双子の兄弟が生まれる。

注目箇所

ユダはこれを調べて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女をわが子シェラに与えなかったせいだ。」彼は二度と彼女を知ろうとはしなかった。創世記 38章26節

考察

ヨセフ物語の間に唐突に挿入されるユダに関する物語り。

短い物語であるが、なかなかのインパクトである。

ユダは長男エルのためにタマルを嫁として迎える。

しかし、しばらくしてエルは死ぬ。

タマルにはまだ子供がなかったので、当時のならわしにしたがってユダは次男オナンにタマルを嫁として与える。

しかし、しばらくしてオナンもまた死んでしまった。

エルにしろオナンにしろ自分たちの悪行のために神に打たれたのであるが、ユダは嫁タマルに何かしら原因があるのでは?との恐れを抱く。

まだ子が与えられてなかったので、その次の子シェラにタマルを嫁として与えなければならなかったが、ユダはそうすることを暗に拒んだ。

それで、タマルは自分の正体が分からないように遊女を装い、ユダに近づき、彼をして子孫を残すのであった。

驚くべきは、このような形で生まれたタマルの子供がキリストの直系の先祖として系図に載せられていること。

また、本来系図には女性の名前は入らないのに、特にタマルがそこに名を連ねるのは相応しいとは思われないのに、彼女の名前がそこに入っていること。

ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み(マタイの福音書 1章3節)

なぜ?と不思議に思うが、実は他にも、キリストの系図にその名が載せられている女性がふたりいて、そのどちらも、系図にその名前を入れるに相応しいとは思えない人なのだ。

 神様のなさることは実に不思議である。

所感

ふさわしくないものを、そのままの姿で、ふさわしいものとして用いられる神の計らいにただただ驚く。

また、この物語から到底、神の働きにふさわしくない私をも、そのままの姿で用いてくださることの期待を持つことが出来る。

もちろん、それはクリスチャンとして成長しなくてもいいというわけではない。

しかし、神は私の弱さをとおしてご自身の栄光を現されることに心から感謝したい。