げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

罪悪感からの解放

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聖書通読箇所

創世記42章

カナンの地も飢饉に見舞われ、ヤコブの息子たちはエジプトに穀物を買いに行く。食料を管理する長になっていたヨセフは自分に気づかない兄弟たちにスパイの容疑をかけ、それを晴らしたければ末の弟を連れてくるように命じる。

創世記43章

ヤコブの息子たちは今度は末の弟を連れてエジプトに食料を買いに行った。ヨセフは彼らのために酒宴を催した。

注目箇所

彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」(創世記 42章21節)

考察

ヤコブの息子たちが、弟ヨセフを奴隷商人に売り渡してから、20年以上の月日が経っていた。

しかし、今回、自分たちが苦境に立たされた時に、ふと浮かんで来たのはヨセフのことだった。

そして、自分たちはその罰を受けてるのだと。

ヨセフへの嫉妬心から来るところの憎悪から、彼を売り飛ばしてしまった兄弟たちであったが、それ以来ずっと、その心のうちに罪悪感を抱いていたことがよく分かる。

おそらく、今回のことに限らず、それまでの人生の中でも、何か悪いことが起こってきたら、もしかしたら、これはあの時の罰かもしれないと思って来たのではないだろうか。

そして、それ自体が、ある意味彼らに対する罰となっていたのかもしれない。

所感

罪を犯してしまうと、そのことが、それからの人生に暗い影を落としてしまう。

そして、何かある度に、あの時、あんなことをしてしまったからと後悔の念に打ちのめされる。

そんな人生を送りたくはない。

そのためには「罪を犯さない」ことが1番なのであるが、私たちは弱い人間、現実にそれは難しい。

幸いなことに私たちは今キリストの十字架を見上げることが出来る。

私たちのすべての罪過ちをキリストが引き受けてくださった。

だから、神が私たちを罰することはない。

たとえ、人生に様々な困難が起こってきても、それは神の愛の訓練であり、それによって多くの実を結ぶことができる。

そのような信仰を持ち続ける者でありたい。