げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

栄光へとつながる苦しみ

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聖書通読箇所

創世記46

  • イスラエル(ヤコブ)とその家族がエジプトに向かう。そして、ゴシェンで息子ヨセフと再会。

創世記47

  • イスラエルとその家族のエジプト(ゴシェン)居住が許可される。
  • 飢饉が非常に激しくなり、エジプトの住民も食料を購入するために土地だけでなく、自らも奴隷として買い取ってくれとヨセフに願う。

注目箇所

神は仰せられた。「わたしはあなたの神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(創世記46章3節)

考察

エジプトに行って帰ってきた息子たちから、20年以上も前に死んでいたと思っていたヨセフが生きているとの報を受けたヤコブ。全家族とともにエジプトに向かう。その途上、神が夢に現れ、彼を励まし、エジプトにおいてあなたの子孫を繁栄させるとの約束をされた。

神がヨセフを先にエジプトに遣わされたのは「飢饉」からイスラエルとその家族を救われることよりも、むしろエジプトで繁栄させることに目的があった。

実際、その後、イスラエル人はエジプトに増え広がり、エジプト人がそれを国家の脅威とみなすまでになる。

そして、それが出エジプト(エクソダス)へとつながるわけだ。

それにしても、最初からイスラエルの家族をエジプトに移住させ、そこで繁栄させることが目的であることを知らせてあげれば良かったのに。

ヨセフがイスラエルの繁栄のために先にエジプトに送られることが示されていれば、家族総出で喜んでヨセフを送り出していただろう。

ヨセフにしろその父ヤコブにしろ、20年以上、苦しみを抱え続ける必要はなかっただろう。

神様って意地悪だな、と思わなくもない。

しかし、これまでの物語を振り返る時に、ヨセフが兄たちに売り飛ばされるという悲劇がなかったら、イスラエルとその家族の救いと繁栄はなかっただろうとも思う。

いや、きっと、それなしには実現不可能であったのであろう。

とても、複雑な気分である。

神のなさることは私たち人間には計り知れない。

なので、時には神が意地悪に思える時があるかもしれないが、神は永久から永久まで愛なる方である。

所感

私たちの人生にも「悲劇」と思われるようなことが多々ふりかかって来るだろう。しかし、それら一つ一つが神の許しの中で起こってきていることである。

私たちはただ、神はその愛するものには全てを働かせて益としてくださる方であることを信じ、そして、今の苦しみは将来の栄光のための過程であることを信じ、ただ前に進むしかない。