げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

急がば回れ。神の使命を果たすために。

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聖書購読箇所

出エジプト記1章

  • エジプトで勢力を増すイスラエルの民に脅威を感じたファラオは彼らを労役に従事させる。またこれ以上、イスラエル人の人口が増えないように、男子の赤子が生まれたらナイル川に投げ込むように命じる。

出エジプト記2章

  • 赤子のモーセを隠しきれなくなった両親は防水の籠を作り、それにモーセを入れてナイル川に流す。水浴びをしていたファラオの娘がそれを見つけ、自分の養子としてモーセを育てる。
  • 大人なったモーセは同胞であるイスラエル人に乱暴をしているエジプト人を殺すも、そのことがばれてファラオに命を狙われる。
  • ミデヤンの地に逃れたモーセは祭司レウエルの娘と出会い、それをキッカケにレウエルのところで生活することにする。

注目箇所

だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。(出エジプト記2章14節)

考察

大人になったモーセは同胞に乱暴をふるっているエジプト人を殺してしまった。

最初から殺すつもりだったのか、誤って殺してしまったのか、それは分からない。

ただ、ステパノの説教によるとモーセは自分の手によって、エジプトで奴隷状態になってる同胞イスラエルを救おうとされている(使徒7章25節)と考えていたらしい。

その手始めとして、酷い目に合わされているイスラエルの民を助けたのかもしれない。

事実、神はモーセをしてイスラエルの民を解放しようと計画しておられた。

ただ、モーセが自分の思いで事を起こした時はそれは成功しなかった。

まだ時ではなかったのだ。

所感

良かれと思ってやったことが裏目に出ることもある。

神の前に正しいことをしたはずなのに、かえって窮地に追い込まれることもある。

しかし、それもまた神の御手の中にあること。

時には私たちは神の使命を果たすために遠回りをしなければならないこともある。

急がば回れ、ということもある。

神の時があり、神の方法がある。

そのことを忘れることなく、ただ、神とともに歩みたい。