げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

思うようにならない人生もまた恵み

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聖書購読箇所

出エジプト記5章

  • モーセは兄アロンとともにファラオのもとへ行き、イスラエルの民が神に生贄を捧げるために荒野に向かうことの許可を請うも、あえなく却下される。これを機に、ファラオはイスラエルに対する苦役をなおいっそう重くしたので、モーセらはイスラエルの民の信用を失った。

出エジプト記6章

  • 神はモーセをとおしてイスラエルの民にエジプトからの解放と約束の地の相続の希望を語るもひどく失望した民はもはやそれに耳を貸さなかった。
  • 出エジプト当時の、主にレビ一族のかしらについての略系図。

注目箇所

モーセはこのようにイスラエルの子らに語ったが、彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった(出エジプト6章9節)

考察

モーセとしては踏んだり蹴ったりである。

神に従ってエジプトに向かう途中では唐突に神に殺されそうになるし(出4:24)、エジプトではファラオは全く耳を貸そうとしないし。

そればかりか、ファラオがイスラエルの労役を激化させたので、当初はモーセの登場を喜んでいたイスラエルの民の信用をも失ってしまったのだ。

神様の言葉に従っての言動なのに、全く物事が上手くいかない。

すでに80歳の老人だったモーセは疲弊しきっていたであろう。

「夜明け前が一番暗い」とは言う。

モーセはその暗闇の中で恐れおののいていたに違いない。

自分は本当に神の声を聞いたのだろうか?

自分がここにいるのは間違いなのではないだろうか?

そんな思いになりつつも、なお強く迫ってくる神の声・・・

モーセの心の内の混乱ぶりはいかばかりだったろうか。

しかし、すべては神のご計画どおりに進んでいた。

理不尽と思えるような出来事も、モーセの信仰を育てるために役に立っていた。

所感

神の言葉に従ったからと言って、物事が上手く行くとは限らない。

もちろん、それは人間的な視点においてである。

神の視点ではそうではない。

ご利益宗教的な考えでキリスト教を信仰しているならば、きっとつまづいてしまうことだろう。

ご利益宗教的な思考では「ラザロの信仰」(ルカ16:19~)も「貧しいやもめの信仰」(ルカ21:1~)も私たちには理解できない。

この地上での人生は私たちの霊を成長させるための訓練の期間である。

そして、私たちが受けるべき報いは地上のものではなく、天上のものである。

その信仰を日々新たにして行く必要がある。