げんてんかいき

趣味は「聖書通読」ですが、何か?

現象は真の信仰をもたらさない

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聖書通読箇所

出エジプト記7章

モーセは神に命じられたとおりファラオの前で杖を蛇に変化させるという不思議を見せて、神が自分たちとともにおられることを示す。しかし、ファラオが耳を貸そうとしなかったので、今度はナイル川の水を血に変化させる。そのため魚は死に、飲水も不足するようになった。

出エジプト記8章

ファラオがなお心を頑なにするので、神はモーセをして、カエル、ブヨ、アブなどを大量発生させてエジプト人を苦しめる。

注目箇所

わたしはファラオの心を頑なにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で数多く行う(出エジプト記7章3節)

考察

ファラオが心を頑なにし、モーセの言うことに耳を貸さないこともまた神のご計画の中にあった。

神はそれをとおして、多くのしるしと不思議をエジプトの地に現し、主こそ神であることをエジプト人に、またイスラエル人に示そうとされたのだった。

とはいえ、ファラオは何度も神のしるしを見ても、それを信じようとはしなかった。

また、一時的に信じても、すぐにその思いを翻した。

実はそれはファラオだけの話しではない。エジプトの地から脱出したイスラエル人はエジプトの地においても多くの不思議を経験し、またカナン地の道中においてもそうであった。それにも関わらず、イスラエルの民は何度も神に逆らったのだ。

しるしと不思議を見たからと言って、それがその人の真の信仰につながるかというと、そうとも限らない。

むしろ、そのような現象にとらわれた人たちは、その現象がなくなってしまうと、その信仰も失われることが多かったのだ。

所感

私たちは目に見えるしるしや不思議を求めてしまいがちである。

もちろん、福音宣教のためにそれを求めることは間違いではない。

しかし、その現象だけにとらわれてしまうと本質を見失ってしまう。

イエス様は「見ないで信じる者は幸い」と言われたことを忘れないようにした。

目に見えるものではなく、目に見えないものを追い求めるものでありたい。